仲間と造る w/ Godspeed Brewery

いよいよ、5/10(土)に開催する京都醸造10周年記念イベント「なみなみと」が数日後に迫ってきました。参加する全国20の醸造所のビールも私たちのもとへ到着し始め、イベント当日を待つばかりです。京都醸造がこのイベントに向けて造った2つの記念醸造ビールも今週に充填を行い、当日のお披露目にむけてカウントダウンが始まっています。

以前の投稿でもお伝えしたとおり、この2つの記念醸造ビールのひとつは二次発酵を施したホッピーピルス「なみなみと」、もうひとつは私たちにとって特別な存在である人と一緒に仕込んだアニバーサリーエール「歴史」。この記事では、これらの周年ビールについてより詳しく取り上げたいと思います。

1つ目のニュージーランド・ホッピーピルス「なみなみと」は、ちょうど1年前、京都醸造のヘッドブルワーとしてジェームズが加わって以来、私たちに起きたさまざまな変化を体現するようなビール。ベルジャンスタイル以外のビールに広く採用し始めた北米産のノーススターピルスナーモルトに、お米(ライスフレーク)を加え、クリーンで飲みやすい味わいになるように設計しました。 そこへ、私たちが愛してやまないニュージーランドのFreestyle社のホップ、中でもパッションフルーツやライムのような鮮やかな柑橘系の香りを持つコヒアネルソンとモチュエカを使い、アロマという彩りを加えました。 さらに、熟成中には特に香りが魅力的な早摘みのモチュエカと、エッガーズ社のスペシャル・リワカというホップをたっぷりと投入。それによって、より甘みのあるトロピカル&シトラスの香りと風味が加わり、飲み心地と爽快さを最大限に高めます。

仕上げの極めつけにモチュエカとコヒアネルソンの風味をしっかり高めるだけでなく、缶と樽の中で二次熟成を行いました。一般的にセゾンなどで用いられる手法ですが、ラガー(ピルス)で行うことにより、きめ細かくクリスピーな自然の泡が生まれ、このビールの肝である鮮やかな香りもしっかりと閉じ込められました。 フェスが進み、気温がしだいに上がってくる頃、このビールは渇きを心地よく癒してくれる最高の相棒になるはずです。

2つめは「歴史(History)」と名付けたアニバーサリーエール。
これは、私たちがこの10年間にわたってビールを造り続けてきた歩みを象徴するビールであるだけでなく、長年の親友であるGodspeedのルーク(Luc Lafontaine) との深い親交を表現したものでもあります。

ルークとの出会いから創業へ:
話は10年以上前に遡り、京都醸造が紙の上にしか存在しないまだ朧げな構想に過ぎなかった2013年頃、私たちはルークと出会う機会を得ました。 当時、彼はカナダ・モントリオールの有名なブルーパブ「Dieu du Ciel」で約12年間ブルワーとして働いた後、日本に活躍の場を移し、栃木の「うしとらブルワリー」の立ち上げメンバーの一員として取り組んでいた頃でした。 偶然にも、ベンと私(ポール)は、代々木公園の西側にある下北沢に住んでおり、当時、同じビルのひとつのフロアで2つのバーを営業していたうしとらに足げく通っていました。素晴らしいクラフトビールが次々と繋がれるその場所と、ビール好きの仲間たちとの出会いが、私たちの中でブルワリーを立ち上げたいという想いを強く後押ししてくれたのです。

そのうしとらを介してルークと初めて会ったとき、京都醸造の元創業者、クリスが醸造所立ち上げの考えを彼に伝えると同時に、アメリカ・カリフォルニアの Port Brewing / Lost Abbey での修行期間の後、志賀高原ビールで研修を受ける予定であることを話しました。すると、ルークは「その頃には自分のブルワリーの立ち上げも完了しているだろうから、京都醸造が本格的に始動するまでの間、うしとらで一緒に働くといい」と言ってくれました。 最終的に、クリスは志賀高原での研修を終えた後に栃木へ移り、ルークの元で働くことになりました。

しかし、私たち自身も後に身をもって知ることになりますが、ブルワリーの立ち上げには想定以上に時間(そしてお金!)がかかるものです。そうしたことを見越して、クリスはうしとらでビールの仕込みに関係する仕事の傍ら、主に古い醸造スペースを改装する工事を手伝うことになりました。

そしていよいよ創業:
私たちが資金集めに奔走し、醸造所の候補地を選び、いよいよ醸造設備・システムを搬入する段階に差しかかった頃、それまで手厚く気にかけてくれ、サポートしてくれたルークがカナダに戻るという苦渋の決断をします。それが決まった後も、無事に一歩踏み出せるかどうかという京都醸造のために継続してたくさんのアドバイスをくれました。 設備が到着し、ブルワリーの内装工事が完了したのは2015年4月。当初のスケジュールからは9ヶ月も遅れてしまっていましたが、ようやく税務署による最終審査も行われ、正式に醸造の許可をもらうことができました。その連絡を受けてまず最初に報告をしたのは、ルークでした。そして、喜びを共有するのもつかの間、さっそく最初の仕込みを手伝ってもらえないかとお願いしました。

彼がこれまで培った経験と技術は、私たちがスムースに始動するために非常に大きな力になると確信していたからです。 そのお願いに快く応じてくれたルークと私(ポール)は2週間ほどの間、今は麦芽保管庫になっている小さな畳の部屋に一緒に寝泊まりし、朝から夜遅くまでビール造りを始める準備に働きつづけました。その後、新婚旅行先のタイから戻ったルークは、休む暇もなく、数週間前に一緒に仕込んだビールのケグ詰めを手伝ってくれたりもしました。その年の5月9日に京都市内で催されたビールフェスは、京都醸造が初めて自身のビールを提供する記念すべき機会だったのですが、そのブースにもルークは私たちと一緒に立って販売してくれたりと、当時はありとあらゆることまで一緒に取り組んでいた記憶です。

あの創業初期を振り返ると、本当に目まぐるしい日の連続でストレスを感じる日も多かったですが、そんな時にルークが試練の時期を共にしてくれたことで、私たちは前に進むための自信を得ることができたと思っています。

それぞれのブルワリーの成長:
ルークは2017年にカナダ・トロントで自身のブルワリー「Godspeed」を立ち上げますが、その数年後の2020年にリフレッシュするための休暇で日本を訪れていました。

彼は日本出身ではないものの、日本とのつながりを大事にし、深く関わってきました。トロントで開業した自身のブルワリーでも、造るビールに「日本」をテーマとして取り入れており、使用する原料や、ラベルのアートワークや商品名においても顕著に表れています。

休暇で来日中の彼と会って、お互いのブルワリーがどうなっているかについての「戦況報告」のような情報交換をするだけでなく、せっかく再会したのだから、一緒にビールを仕込もうという話になり、その時は双方にとって特別な存在であるベルギービール「オルヴァル(Orval)」へのオマージュビールを仕込みました(それで出来たのが「親友との絆」)。 

そのわずか1ヶ月後に日本でもコロナが猛威を振るい始めたため、残念ながら、このビールが出来た頃にはお祝いムードは抑えられたものになってしまいました。そして、京都醸造もGodspeedも、人々がバーやレストランに簡単に足を運べなくなった世界で、どうやってビールを造り、販売していくかについて頭を悩ませることになります。

興味深いことに、お互いの醸造所はコロナ禍を経て、転んでもただでは起きない、を地でゆくように、それぞれの新境地を拓いていくことになります。ルークは、チェコスタイルのビールを造るブルワーとしての評価を確立していきました。

一方で京都醸造はというと、生産量の小さなボトルビールの製造ラインでの作業に長く苦しんだ末、缶製造への完全移行を決断。これにより、生産量と取り扱い易さを向上させ、スーパーマーケットや百貨店での取り扱いが始まるなど、新しい市場に飛び出していくきっかけになりました。

コロナが過ぎ去るころには、Godspeedも京都醸造も、それ以前と姿を大きく変えていました。京都醸造の場合、成長とみえる変化もあればその代償とも見える変化も。コロナを乗り越えたばかりか、大きなの成長を遂げた裏で、会社存続のために寝食を忘れ奔走した創業者のひとり、クリスは「ここで一度立ち止まり、今後の人生に何を求めるかを見つけたい」と考えるようになり、京都醸造を離れる決断をします。これは会社始まって以来の大きな出来事ですが、それでも京都醸造が、これまでと変わらずビールファンの元へビールを届け続けられるために、彼は1年の猶予を設けてブルーチームの育成を進め、後任のヘッドブルワー探しにも十分な時間を与えてくれました。

そしてバトンが渡る:
8年間京都醸造を引っ張ってきたクリスの退任から数ヶ月後、新醸造責任者にアメリカから来たジェームズが加わりました。彼の着任とほぼ同時に、私たちは国内のクラフトビールシーンに彼を紹介しつつ、新しい仲間や旧友たちとの関係構築をするため、多くのブルワリーとのコラボレーションを開始し、その中には、もちろんこれまでの京都醸造を良く知るルークの名前がありました。

そんなルークもまた、年月が経つにつれ、自身の人生を見つめ直し、今後何を大事にしていくかの答えに行きつきました。彼にとって「家族」がかけがえのない人生の基盤であり、パートナーである奥さんが幸せであること、そして自身の子どもたちが、人生に多大な影響を与えた日本という社会で育つことを望むようになったのです。その思いから、ルークは地球の正反対に位置するといっても過言ではないほど離れたトロントと日本の二拠点生活を選ぶ決断をしました。

それにより、私たちにとっては再び顔を合わせる機会ができたこと、そして彼が近年チェコビールに注力している流れを受けて、昨年、私たちはルークと、長年日本に住むチェコ人醸造家、KOBO Breweryのコチャスとの3者コラボレーションを行うことにしました。 生憎、私たちの設備はアメリカンスタイル仕様のため、チェコビールを仕込むにはいろいろと制限がありました。そこでチェコスタイルではなく、ルークの愛する欧州のスモークビールへと舵を切り、ポーランド発祥の「グロジスキー(Grodziskie)」という燻製小麦を使った特別なビールを醸造することにしました(このコラボビール「黙々人」についてはこの記事を参照)。

今でも鮮明に覚えているのが、仕込み当日にルークが突然「ラッキーセブン」にこだわり始め、ホップの投入タイミングを7分ごとに、投入量はすべて7の倍数で、などなどその時のルークらしい面白い発想に、ジェームズが柔軟に受け入れ、笑い合いながら楽しそうに仕込みを進めている風景を見て、「ああ、大丈夫だな」と感じ、肩の荷が下りたような気持ちになったのです。ここでギクシャクして、険悪な雰囲気になってしまっていたらどんなコラボになっていたかわからないどころか、この10周年の記念醸造の話も叶わなかったかもしれません。

セレブレーション・ブリュー(お祝いの一杯を造る):
この「セレブレーション・ブリュー」のアイデアについて、ジェームズは以前ルークと行ったコラボで取り上げた「スモーク(煙)」というテーマを、さらに一歩進めたものにしたいと考えていました。

そしてインスピレーションの元となったのはカクテル——それも「オールド・ファッションド」という、ウイスキーにビターズ(リキュール)と砂糖、そしてオレンジピールを加えたシンプルで力強いカクテル。ジェームズは、このカクテルが持つ“火”や“煙”のようなニュアンスを周年ビールに取り入れたいと考えました。

このジェームズのアイデアをルークに説明すると、彼の顔には自然と笑みが浮かび、あの黙々人の時の楽しい時間の再来を予感したかのように見えました。そして「オールド・ファッションド」の世界観を最もよく表現できるビアスタイルを考えた結果、「ウィーヘビー(Wee Heavy)」というスコットランド発祥で、豊かなモルト感と複雑な風味が特徴のビアスタイルを選びました。ルークがこのスタイルを醸すのは何年ぶりかでしたが、意気揚々と袖をまくり上げ、ジェームズと共にそれぞれの醸造経験をふんだんに掛け合わせたレシピに仕上げました。

炭酸を加えるためのステンレスタンクにビールを入れる前に、まずオークチップを敷き詰めて設置し、CO₂を使ってタンク内の酸素をある程度除去しました。そしてその木片に火をつけ、すぐにタンクを密閉。燃焼により残った酸素が消費されると火は徐々に消えていき、その後、木が燻されはじめます。結果的に、タンク内はスモークチャンバー(燻製器)となり、その中にビールを注ぎ込むことで、スモーキーな香りを移すことができるのです。

さらに、ビールはそのまま焦げたウッドチップの上で寝かされ、その間に柔らかいバニラ香やオークのニュアンスも加わり、うっとりとするような芳香が叶うのです。これまでにビールのタンク内で火を焚いた醸造所があるのかは分かりませんが、この珍しくユニークな手法で生まれた独特なキャラクターは、このビールを非常に特別なものにしています。まさに、これまでもこれからも探究する心を止めないという契機になる10年目にふさわしい一杯となりました。

京都醸造の歴史は親友ルークとの歴史でもあり、この創業以来の大きな歴史的フェスティバル当日に皆さんとこのアニバーサリーエールで祝杯をあげることを楽しみにしています!