神戸三ノ宮でビール造りを始めたPaint Pallete Brewingの創業者兼ヘッドブルワーである戸上将吾(とかみしょうご)は、私たちにとって「友達」であり「仲間」のような特別な存在。2017年、創業から数年に満たない当時の京都醸造の扉を叩いた彼は、京都醸造の初期を知るメンバーの一人であり、長くビール造りに携わり、社内外に多くの影響を与えた人でした。
数年前には、長年したためた夢を追いかけ、一度京都醸造の元を離れ、アメリカ・カリフォルニアにあるHeretic Brewingで2年間、クラフトビール界のレジェンドである Jamil Zainasheff(ジャミル)の下で学び、自身の見識を広げ、醸造に関する技術を磨きました。醸造家として、ひとまわりもふたまわりも成長して日本に帰ってきた彼は、それ以降、自身の醸造所を立ち上げる準備を進めながら、古巣である京都醸造でふたたび働いていました。
長きにわたる準備がようやく結実し、三ノ宮の複合型施設内に醸造所が完成、数ヶ月前に初めてのビールがお披露目し、そして10月にはタップルームも開店されました。そんな順風満帆で始動したPaint Palleteと、先週一緒に記念となるコラボビールを仕込みました(リリースは今月末の予定)。

これまでコラボのたびにお伝えしてきましたが、私たちにとってコラボレーションとは、互いに学び合う機会であり、ときに思い切って普段しないことをやってみる実験、挑戦の機会でもあります。さて、どんなビールを仕込んだかについては、またリリースが近づいた頃にお知らせします。
今回は、将吾から始動したばかりの醸造所の近況を聞き、この数ヶ月が彼にとってどんな日々だったのか尋ねてみました。
京都醸造が2015年に最初のビール「はじめまして」を発売してから10年後に、巣立っていった卒業生である将吾が自身の醸造所から最初のビールを出したというのも興味深い偶然。しかし、流れの早いクラフトビール業界における10年は短いようで長い。明らかに私たちが創業した頃とは、この10年で景色が変わりました。2025年の今、醸造所を始めた彼が見ている景色とはどんなものなのか?を将吾に聞きました。
彼がまず率直に言ったのは、「時間がかかる」ということでした。京都醸造が創業した時、まずビール造りの免許の申請に必要な「依頼書」(将来にビールの購入意向を示す書類)を集めるために、たくさんの飲食店へあいさつを兼ねて、お願いに回りました。
当時、私たちは興味を持ってくれそうなお店に飛び込み、「青森で出会った3人の外国人が京都でビールの会社を立ち上げた」という話を伝えながら、関係を築くところから始めました。当時はクラフトビール醸造所の新規開業が年間4件ほどしかなく、私たちのような存在がまだ珍しかったことから、訪れた店からその知り合いの店へと口コミで広がっていきました。
最初から仕込み設備が大きすぎて、ビールが売れ残るのではと思われていたと思いますが、そんなことはなく、アメリカのLost Abbey、Port Brewing 、長野の志賀高原で修行した若いブルワーが造るビールとなれば、瞬く間に注文が入り、早い時には発売後数分で完売するということもありました。
しかし、たかが10年ほど前といえど、2025年の今、状況は変わりました。国内では数百の新しい醸造所が毎年新規開業しています。新しいビアバーも増えてはいるものの、その勢いはブルワリー数にはまったく追いついていないのが現状です。つまり、「新しい醸造所のビールが決まったように瞬時に売り切れる」時代ではありません。
そんな業界の流れを冷静に捉えながら、開業という選択をした将吾は、そもそも2015年当時の京都醸造のような状況が再現できるとも最初から思っておらず、むしろ独自の視点を持ち、目指すところを定めたと言います。

「Paint Palleteのターゲットは温泉に来た人の中で、クラフトビールを知ってはいるけどまだ多くの種類を飲んだことがない人たち。競争が激しい“レッドオーシャン”ではなく、まだ余白のある“ブルーオーシャン”に向かうべきだと思ったんです。東京を目指す1000以上あるブルワリーと同じフィールドで競う必要はない、と。」
将吾は東京生まれ東京育ちですが、今は神戸がホーム。
「神戸は“自分たちの街が好き”という気持ちが強い人たちがたくさんいる街なんですよ」と言います。 神戸のビール文化は、バーやレストランが互いを支え合う文化が特徴で、人々が集うイベントや交流の場が街のあちこちで活発に作られています。たとえば「Night Picnic」というイベントは、地元の飲食店がブースを出し、来場者と直接交流することで“地元の常連”を生む機会になっています。
将吾はこのローカルを大事にする人たちが創る市場こそが希望だと考える、と同時にそれが簡単なことではないということも理解しています。
「神戸でクラフトビールがきちんと浸透するまでには、まだ時間がかかると思います。古くからの飲食店同士は強いつながりがあるんですが、比較的新しいビアバーのようなお店同士は、横の繋がり、ネットワークが十分とはいえないですね。」
将吾の価値観の中に、私たち京都醸造のそれと大きく重なる部分がひとつあります。それは「ビールには人と人をつなぐ力(engagement)がある」ということを強く信じている点。 10年以上前にシアトルのあるブルワリーを訪れた際に、ひょんなことから現地の人との深い交流を体験した彼は、それ以来ビールが持つ力を信じてきました。1杯のビールが生むあのワクワクする空気感は、ほかのどの飲み物とも違い、自然と人と人を引き寄せます。この”人類みな兄弟”のような平和な“景色を描きたい”という思いから、将吾は自身の会社を「Paint Palette(絵の具を並べるパレット)」と名付けました。ビールを構成するモルト、ホップ、酵母、そして無数にある副原料。それらを絵の具のように扱い、色彩豊かなビールをつくるという意味が込められています。

創業から数ヶ月、実際に稼働してみて、そしてかつてクラフトビールムーブメントを起こしたアメリカ市場に起こっている変化も感じながら、将吾は今の業界の課題とこれからの起こるかもしれない困難をよく理解しています。クラフトビールの未来について尋ねると、彼はこう答えました。
「“クラフトビール”という言葉は、いずれなくなっていくべきだと思うんです。やはり、アクセスのしやすさと手頃さが今後のクラフトビールの明暗を分ける鍵だと考えています。”クラフトビール”という言葉には、どこか特別で高価というイメージがつきまとい、人々の心理的ハードルになっている可能性があると思います。」
確かに、クラフトビールはすこしニッチで、クラフトビールバーで飲むものと捉えられがちです。もちろんこうした専門店は業界にとって非常に重要ですが、本来あるべきは“普通の飲食店で当たり前のように飲まれる存在”になること。
例えば、ワインを飲みたいと思うたびにワインバーへ行く必要があるとしたら?確かにファンはそれを習慣とするでしょうが、広がりは限定的です。 過去には「地ビール」という言葉もありましたが、これには90年代後半の地ビールブームの印象がつきまといます。物珍しさで手に取る方も多かったと思いますが、品質がまちまちだった観光地のビールというものです。 今ではそれが少し“古臭い”と感じる人もいて、一方で「クラフトビール」はなんだか難しそうで“値段が高い”というイメージ。 だからこそ将吾は、より身近な「地元の誇りとしてのビール」になることが希望だと考えています。
そして、そのために最も重要なのが味であり品質です。
品質の悪いビールが一つ市場に出てしまえば、誰かにとっての“初めてのクラフトビール”が「高い上においしくない」という残念な体験になってしまう。 誰しも、最初に飲んだ“おいしくてワクワクするビール”を覚えているものです。 その体験を増やすことこそ、クラフトビールが多くのひとに楽しんでもらうための鍵であり、結果として価格を手頃なものに抑えることにもつながり、末長く地域の人たちとの関係を築いていくことになる、と彼は考えています。

また、いわゆる古き良きクラフトビール全盛期の夢から覚め、日を追うごとに競争が激化する業界の現実にただ悲観するのではなく、誰に届けたいのかという明確な軸を持ち、自身のビールを楽しんでくれる人々に届けるという使命を胸に、大海原に一人で漕ぎ出した将吾。その姿には、かつて京都醸造の扉を叩いた頃から変わらない、ひたむきさと熱さを強く感じました。
そして次の10年後、クラフトビールを取り巻く世界はまた一変していることでしょう。そんな中、右往左往することなく、変わらないペースで美味しいビールを人々に提供し続けているのは、いわゆる知名度を誇った”大御所”ではなくPaint Palleteのようにしっかり地に足をつけ、繋がりを多く作ってきた醸造所なのだと思います。
神戸三ノ宮のAwaAwa内にある醸造所で、彼の持ち味である丁寧さをもって、一人ひとりにその味・体験を届けながら、“良質な地域に根ざしたビール”を神戸の街に広げようとしているのです。
Paint Palleteについての詳しい情報はホームページ(paintpalette.com)をご覧ください。
コラボビールは、京都側、神戸側で仕込んだ2種類があり、京都で仕込んだものは12月末リリース。そして神戸で仕込んだものが1月上旬にPaint Paletteからリリースされます。
