ふたたび寄せて ~能登、黙々人プロジェクト~

先月、ふたたび石川県の能登に行ってきました。
4月に訪れた際の記事「能登に届けた"望み"」

今回の滞在の主な目的は、現地で災害ボランティア活動をすること、そして5月に造ったKobo BreweryとGodspeedとのコラボビール「黙々人」の利益分とタップルームに設置していた募金箱にお預けいただいた支援金を現地に渡すこと。

まず、今回行って感じたことを述べさせてもらうと、地震によるダメージに加え、9月の大雨による水害の被害があり、今なお厳しい状況にある能登は、ひきつづき人の手を必要としていると感じました。

床上浸水した民家などでは、重機ではなく本当に人の手を使ってでしか復旧作業を行うことができず、マンパワーを頼って、普通の生活を取り戻せないような過酷な現状がありました。時が経つにつれ薄れていく私たちの記憶、細っていく援助。

そうした中で、いま一度、能登に想いを馳せて、一人でも多くの人が自分たちに出来る形で手を差し伸べる時だという思いを強くしました。

思い切ってボランティアに行くもいいし、少額でも寄付するでもいい。小さな行動でも結集すれば、大きな力になり、能登の希望につながるかもしれない。

私たちのような小規模の醸造所も考えました。何か出来る事はないだろうか。何ができるかわからないけど行動しよう、から始まった望みビールのお届けとコラボビール黙々人。

能登半島への支援を考えている方にすこしでも役に立つ情報になるかと思い、今回の再訪について書きました。ぜひ読んでください。

 今年3月に能登を訪れてから、再訪することは以前から決めていたことなのですが、ご存じのとおり、9月には、能登半島地震により甚大な被害を受けた石川県奥能登地方を中心に記録的な大雨が降り続き、多くの場所で河川の氾濫、道路の冠水、仮設住宅を含む多くの建物に浸水被害が出るなど、大きな被害があり、当初の予定よりも前倒しで能登に向かうことにしました。

 

前回の「望み」ビールでお世話になった石川県災害ボランティア協会の木下千鶴さんに、水害の状況など現地のことをいろいろ聞く中で、水害が発災して以来、被災地が必要な物資は毎日どんどん変わっていること、物資は比較的十分にあるが、圧倒的に人の手が不足しているということを教えてもらいました。山から流れ出た土砂の被害を受けた建物から泥を掻き出すのに多くの人の力が必要とのこと。

 

当初は「黙々人」の利益分で、寄付金と同等の物資や資材を購入して直接持って行くという形でのサポートを計画していました。その理由は、義援金が被災地のために100%使われるためには、使途不明になりやすいお金ではなく、支援物資や道具、設備という形に変えての譲渡がいいと考えたからです。しかし、大雨による大規模な被害を受けて状況が変わり、今は物ではなく義援金の形で託した方が、その場、その時に合った形で使ってもらえると判断しました。

 

出発の朝、今回も必要物資とビールを車に積んで京都を発ちました。
正午頃には最初の目的地である、金沢の災害ボランティア用の資材が置かれている拠点に到着し、そこで木下さんと再会しました。会うのは3月以来でまだ2回目だが、もっと前から知っているかのような親しみを感じるのは、木下さんの壁をつくらない明るく快活な人柄がきっとそうさせるのでしょう。彼女に現地のことをいろいろ聞いたあと、能登の方々に配ってもらうビールを預け、私たちは珠洲に向かいました。

ちなみに、能登に災害ボランティアに行く場合は、往復の高速料金が免除されます。これについてはどこまで知られているかわからないが、ボランティアに行くとなった時の移動費というハードルをぐんと下げるのは間違いありません。

【珠洲】
3月に珠洲を訪れた際は、倒壊する家屋がほぼ手つかずの状態のところがほとんどで、まだ水供給の復旧されていなかったせいで、ボランティアの受け入れや復興の動きがスムーズにいっていない様子でした。そんな状況下で、地道にボランティアの受け入れや地域のための活動をされていたさだまるビレッジの竹下あづささんに出会い、珠洲の現状や竹下さんの考える珠洲の復興ビジョンを聞き、それに共感や希望を感じたのを昨日のように憶えています。

その竹下さんを頼って、ふたたびさだまるビレッジを訪れました。
久々にあった竹下さんは、相変わらずのにこやかな笑顔で私たちを出迎えてくれました。聞くと、少し前まで体調を崩されて休養されていたそうで、恐らく様々な取り組みをする中で、粉塵による気管支への負荷が原因になったのではないかとのこと。最近は、ボランティアさんの受け入れも再開し、彼女のもとにふたたびボランティアを希望する問い合わせが来ているそうです。が、それでもやること、やらないといけないことが珠洲には山積みで、9月の大雨以降、もっとたくさんの方の力が必要な状況だ。「多くの方は自身に技術があったり出来ることがないとボランティアに行っても、、、と考えるけども、来てもらえれば出来ることはたくさんあります。なので、遠慮せずにどんどん来てほしいです!」と竹下さん。さだまるビレッジの眼前に広がる広大な日本海、この絶景を見てからその日の活動に繰り出すのは、さぞかし力みなぎるだろうなと感じました。

その後、珠洲の街をしばらく車を走らせると、重機が忙しそうに動く風景を見かけることが多く、倒壊した家屋の解体が少しずつ進んでいる印象を受けました。発災から9カ月。普通の生活を送れている私たちにも長く感じる期間だが、地元の人にとっては本当に本当に長く感じる9カ月だったろう。何事もスムーズにいかないもどかしさや困難を経て、ようやく珠洲にも復旧の手が差し伸べられていることを実感できたのは、少しの希望だと感じました。

その後、前回伺ったイタリアンカフェこだまさんにも立ち寄り、ごあいさつとビールをすこしばかりお渡しし、夕陽が山の向こうに沈み始める中、足早に輪島へ向かいました。

【輪島】
輪島では、災害ボランティアとして作業に参加しました。
朝、輪島市災害たすけあいセンター(ボランティアセンター)で、簡単な手続きを行い、チームが編成されたのち、方々の作業箇所へ向かいます。

まず初日は、地震の被害をうけた家屋から仏壇をはこびだすという任務。街から少し山に近い集落へ入っていったところにその家屋があり、眼前には濁流が流れていました。一段低くなった川岸では重機が忙しそうに動き、先月の大雨が原因でこの河川が猛威をふるった傷跡をそこかしこに見ることができました。

そのお家は少し高いところにあったので、水害は免れたようですが、1月の地震による被害が大きく、依頼主さんはすでによそで生活されていて、物がほとんどなく家の中はがらんどうとしていました。最後になったのが、大人4人がかりでやっと持ち上げられるほど立派な仏壇。これを屋内からトラックへ運び出すというお手伝いをしたのですが、トラックを待つ間、依頼主の女性が地震に合われた日の話をしてくださいました。当日、服を取りに2階に上がった時に発災、あまりの大きな衝撃でとっさに柱にしがみつかれたそう。そして、2階の窓の外にいつも1階で見ている風景があり、一瞬の間を置いて、すぐに1階がペチャっと潰れてしまったことに気づいたとのこと。もし、服を取りに上がってなかったら‥とおっしゃっていました。日常が突然にして崩れてしまうという悲劇を経験されているにもかかわらず、京都から来た私たちに笑顔をみせ、気丈に振舞われる彼女の表情がとても印象に残っています。

無事に仏壇を運び出した後、別の場所に移動し、掻き出された泥を少し離れた集積地に軽トラックで運ぶという任務につきました。現場の前には河原田川が流れ、その反対側には、地震の後に大火災があった輪島朝市のあった場所があります。大雨で川から流れ出た泥が堆積した駐車場で、10人ほどのボランティアさんと掻き出し・運搬作業に当たりました。道具の取り扱いをよく知る本業の方の的確なアドバイスや気遣いが光り、大変な作業でしたが、ひとつの目的に向かって、一緒に体を使って作業することで芽生える連帯感に、なんとも言えない心地よさを感じました。

ところで、輪島でボランティアの受け入れでひとつ大きなハードルになっているのは、宿泊だと言います。3月に訪れた際も、まだ水道が復旧しておらず、営業している宿やホテルも皆無でした。今は水道こそ復旧しているが、ボランティアさんを受け入れる宿泊地を取り巻く状況はさほど変わっておらず、毎日運行されている金沢からの大型バスで往復してもらうほかないようです。それによって、移動時間を考慮すると、現地での活動時間も思うようにとれず、もっとできると感じながら、引き上げて行かれる方も多いのではないかと思います。今回私たちは、被災された方だけでなく、ボランティアで短期滞在される方向けに導入されたインスタントハウスという簡易住宅に宿泊させていただきました。日本海を眼前に望む海岸に白いバルーンのような見た目のハウスが数棟立っていて、その中は断熱材が吹き付けてあるので、防音断熱効果があり、大人8人くらいは余裕で休めるような広さ。実際に、とても快適に過ごさせてもらいました!避難所生活を少しでも改善するために、名古屋工業大学の教授が開発されたそうです。費用もさほど高くなく、施工業者さん1名、1〜2時間で建てることができるそうで、災害大国においては、こうした事例は希望を感じさせてくれます。私たちが泊まった輪島のハウスには、ひとり500円ほどで宿泊できるそうです。(最小人数など受け入れ条件があると思いますので、直接「石川県災害ボランティア協会」さんにお問い合わせください)

また、日中の災害ボランティアで泥々、くたくたになった体を癒してくれたのは、マリンタウンの仮設住宅横に設営されているお風呂、高山の湯。仮設で生活される方はもちろん、ボランティアで作業された人にも無料でお風呂を提供してくれています。からだを洗い、温かいお湯に浸かることがどれほど気持ちを落ち着かせてくれたことか、改めて書くまでもありません。このお風呂は、岐阜県のNPO法人Vネット( oop-web.com/club/)が運営してくれているようで、入り口付近には、岐阜の子供たちによる可愛らしい絵や被災地へのエールが描かれた絵がたくさん掲示されていました。Vネットさん、ありがとう!

滞在最終日は、海岸沿いの民家のどろの掻き出しを手伝いました。裏山から土砂が室内に流れ込み、30センチ近い泥が堆積する壮絶な状態でしたが、三重県からボランティアに来られていた御一行と一緒になり、大変でしたが和気藹々と作業することができました。

その後、輪島の市内で災害ボランティア協会の木下さんと合流し、仮設で生活される地元の方々と交流させてもらいました。住宅スペースとは別に設けられているサロンルームで食事をしたり、コーヒーを飲んだりしている方々の中に入れてもらい、みなさんと楽しくお話しをしながら過ごさせてもらいました。私たちが持ち込んだビールにも興味を持ってもらったので、どんなビールなのかを説明したり、とても有意義な時間でした。皆さんどうかお元気で。その後、輪島を後にし、京都への帰路につきました。

今回京都から持参した支援金は、木下さんに紹介してもらった災害ボランティア協会の下(しも)さんにお渡ししました。彼には、地元である輪島の現状の話をいろいろと伺ったり、活動拠点へ送迎してもらったりと滞在中いろいろとお世話になりました。ご自身やご家族も被災されているにもかかわらず、地域のために尽力されている下さんの姿にまた真の黙々人を見たような気持ちです。そして片時もユーモアを忘れず、皆を笑顔にする下さんの心意気は能登の希望だと感じました。

あんなに長かった夏も終わり、京都にもまた冬が訪れようとしています。次のお正月が来ると、能登半島の地震から一年経ったことになります。この一年は能登の人たちにとっては本当に本当に長く感じた一年だったに違いない。水が出ないといった生命にとって危機的な状況で、復旧の見通しがなかなか立たないにもかかわらず、多くの人は必死に耐えてこられました。そのことを考えるだけで、いたたまれなくなります。遠い異国で起こる悲劇にも目を向け、共感できる私たちだからこそ、日本の能登の現状にも意識を向け続け、手を差し伸べて続けられたら、と強く思います。当然のことと信じていた公助がいかなる理由で十分でなければ、たくさんの黙々人がつくる共助の強さを信じたい、そして私たちもビール造りだけでなく、正しいと思うことに対しては黙々と活動を続ける、そんな存在でいたたい、という気持ちで帰路につきました。

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【災害ボランティア受け入れ】
NPO法人グッドネイバーズ・ジャパン
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000094.000005375.html

能登半島各市のボランティアセンター
https://prefvc-ishikawa.jimdofree.com/

珠洲市さだまるビレッジ
https://shorturl.at/ztW5k (FBページからメッセージ)

【高速料金無料措置】

災害ボランティア車両の高速道路の無料措置について

・全社協 被災地支援・災害ボランティア情報

https://www.saigaivc.com/highway/

・Nexco 西日本: https://corp.w-nexco.co.jp/newly/r1/0830/

・Nexco 東日本: https://www.e-nexco.co.jp/news/important_info/2019/1018/00002623.html

【寄付金および支援金の受け入れ先】

・石川県災害義援金: https://www.pref.ishikawa.lg.jp/suitou/gienkinr0609.html

・日本赤十字社:https://www.jrc.or.jp/chapter/ishikawa/about/topics/2024/0925_042897.html

・珠洲市災害ボランティアセンター: https://ishikawa-vc.jimdofree.com/