能登にとどけた「望み」

先日、「望み」と名付けたビールを造り、今年1月に大きな地震によって被災した能登へ届けてきました。

 

2024年、元旦。慌ただしくも平穏に2023年が暮れ、新年をお家でゆっくり過ごしたり、はたまた友人や家族と初詣に出かけるなど様々な形で過ごしていた元旦の午後にそれは起こりました。京都でもしっかりとした揺れが確認できるほどの大きな地震であったが、テレビをつけると、震源地は京都ではなく、日本海に面した能登半島で京都で感じたよりもはるかに大きな地震が現地を襲ったことがすぐに分かった。本来、一年で最もゆっくりとした時間が流れ、寿ぐ雰囲気の日だが、事態は一転し、地震による大規模な火災が発生したり、また別の場所で飛行機の衝突事故が起こったりと次々にショッキングな状況が報じられ、被災地の方はどうなっていることだろうと気を揉みながら三が日を過ごすこととなった。

 

私たちは、京都醸造としてまず何かできることを、と考え、週末ごとに一定数の来客がある工場併設のタップルームに募金箱を設置し、義援金を募った。同時に、北陸支援セットいうビールの詰め合わせ商品を売り出し、この利益分全ても義援金とした。これに多くの方が賛同してくださったおかげでまとまった額が集まり、さっそく1月中に石川県に送ることができた。

 

私たちには、能登半島、特に珠洲に深く関わりのある友人が何人かいた。一人は珠洲に住むの近しい友人で、またある方は珠洲出身で、両親もその地域に住まわれている。もう一人は富山にあるKobo Brewingのヘッドブルワー、コーチャスさん。チェコ出身の彼は、かつて珠洲に住みながら、能登の日本海倶楽部というクラフトビール醸造所で長年ビール造りに携わってきた。自身の醸造所を富山に立ち上げたが、地震が起きてからは定期的に能登半島訪れ、支援物資を持参するなどして支援を続けている。彼らと能登の現状について話をする中で、地震が起きてから2か月以上経った今、どのくらい状況が変わってきたか、何がまだ手つかずの状態なのかを、少し理解することができた。

 

さらに、各方面からの報道に触れると、被災地の状況は発生から3か月経とうとしているが、復興といえるような段階ですらなく、生命線である水の供給すらまだ目途が立っていない地域があるという話を見聞きすることが多く、そのたびになかなか事が好転しないことへの苛立ちと無力感に苛まれた。それと同時に、家が被災し、避難所で生活している人の気持ちは、時間が経てばたつほど希望を持ちにくく、一層厳しい状況になってきているのではと想像した。

 

義援金という間接的なサポートと同時に、私たち京都醸造が被災地に向けてできることは、と考えたときに、被災地で生活する方や支援をする人々に直接、メッセージをビールとともに届けるという発想に至った。もちろん、水や食料など生活必要物資が不足しているような状況において、ビールなんて役にたたないという現地の声を受けることは想定したが、それでも実際に足を運んで、会って、見聞きし、届けたいという気持ちが勝り、悶々としていら迷いを捨て去り、行動を急いだ。

 

 

さっそく、能登半島に持ち込むビールに2バッチ分(約3000L)のベルジャンブロンドを仕込み、ラベルには大きく「望み」と記した。私たちは日々、大小の望みを持ちながら生活を送っている。意識するものもあれば、無意識下のものもある。「希望」というとなかなか叶いにくいことも含まれるが、一方で「望む」ことは、日常的に存在し、私たちをとりまく生活空間にも自分や誰かの望みが形になって存在していることも多い。望んだ結果、叶う(叶えられる)ことで、また新しい前向きな望みを持ち、生活することができると思う。それが、叶わない(叶えられない)と我慢するしかなく、次第に望みを持ちにくくなるものだろう。どんな小さな望みでも持ち続けられて、多少時間がかかってもみんなで叶えていける社会であってほしい、という気持ちも込めてビールの名前を「望み」とした。

 

 

3月の後半、京都は前日までプールをひっくり返したような雨が降り続いていたが、出発の朝には青空が見られた。普段、市内のビール配達に使っている車一杯に、水や食料品、その他生活物資、そして望みビールを積めるだけ積み込み、京都を出発した。

 

私たちはまず、七尾市に入り、市内のある避難所へ向かった。京都市から職員の方が数名、1月の震災後、サポートに入られているというのだ。高速道路を降りると、道の状態が悪いところを徐々に見かけることが増え、同時にブルーシートを被せた家をポツポツと見るようになった。国道沿いの飲食店は営業を再開していて、街にはある程度の日常が戻ってきているという印象だった。避難所となっている小学校の体育館で、京都市の職員の方に会え、お話を伺えた。物資は十分に支給されているが、この避難所も新学期が始まると同時に、避難所としての使用は終えるので、現在も利用している方たちへの仮設住宅の準備を急いでいるとのことだった。

 

その後、能登半島を北上し、輪島へ。向かう道中、山間の土砂崩れや建物の被害を目にすることが次第に増え、自然の猛威が残した爪跡に度々言葉を失った。輪島の街は、水の供給が病院周辺からぼつぼつと戻り始めているようで、数日前に約3か月ぶりに水が使えたという話も聞いた。いつ復帰するかわからない状況下では、この日までがどれだけ長く感じただろう。私たちは、輪島市役所へ向かい、事前にやり取りをしていた現地支援に入られているNPO団体ピースボートの担当者に救援物資と一部の望みビールを託した。ここも基本的な物資は足りているが、ちょっと生活に潤いを与えるような物を辛抱している方が多いという話だったので、お菓子やボディークリームなどをお渡しした。その後訪れた、大規模な火災があった輪島朝市では、あまりにも壮絶な火災であったことを物語る痛々しい風景がそのままに残されていて、私たちはしばらく立ち尽くし、なかなかその場を後に出来なかった。奥の方で何台かの重機が動くのが見えたが、人の気配はほとんどなく、まったく何から手を付けていいのか、と気力を奪うような衝撃的な風景。

 

 

 

 

歩いて、変わり果てた輪島の街を見て回っているとき、ふと「復興ご飯」と手書きされた張り紙が目についた。その建物の中に人影がみえたので、中に入って声をかけてみることにした。聞くと、地元の飲食店主らが、被災者へ炊き出しをする傍ら、復旧支援で街を訪れる人たちへもワンコインで食事を提供されているそうだ。それを「復興ご飯」と呼び、多くの人に喜ばれているだけでなく、売上を次の材料費として活用し、1月から継続されているとのこと。中には自身のお店も被災し、使えない状態の店主もおられるようで、お話を聞かせてくれた田辺さんもその一人。普段はスペインバルとショットバーを経営しているそうですが、被害を受けたので、修復していかないといけない。ただ、今は自分のことを考えず、人のために一所懸命動いているメンバーが揃っているので、震災以前にはなかったような街の飲食店の団結力を感じながら、希望をもって頑張っていると語ってくれた。拠点となっている輪島工房長屋での長い一日の終わりには、毎日みんなでビールを飲みながら輪島の未来について語らうのだそう。輪島の希望だ。そして、望みビールをお渡しすると、大変喜ばれた。

 

 

その後、能登半島の端に近い珠洲市へ向かった。道中、とりあえず走行できる状態まで急ピッチで修復されたであろう道を鉄板などの資材を運ぶトラックと一緒に連なりながら走った。路面のところどころに大きな亀裂が残っていて、カラーコーンが注意を促してはくれるが、一切気の抜けない運転になった。

 

珠洲に入り、まず竹下あづささんという方が代表をされている「さだまるビレッジ」を目指した。能登へ出発する数日前にSNS上で被災地珠洲の今を積極的に発言されているのを偶然見かけ、声をかけたのがきっかけだ。役場へも問い合わせをしていたが、どうもそれどころではない様子だったので、民間で支援活動をされている方を探していた。さだまるビレッジの拠点である彼女の家の前には、美しい能登の海が広がり、対岸には絵にかいたような雪化粧の立山連峰がうっすらと臨めた。建物の前で竹下さんを頼って関東地方からボランティアに来たという青年のグループと一緒になり、車内のほとんどすべての物資の荷下ろしを手伝ってもらった。冗談を言い合いながらも積極的に率先して動く彼らを見ていると労働力の提供だけでなく、若くてキラキラとしたエネルギーを被災地に注ぎにきているような気がして、先行きが不透明な被災地にはこういう人たちや県外から移り住んできた竹下さんのような人は希望だ、とつくづく感じた。

 

珠洲の90%以上はまだ水が出ず、被災者の方々は極めて厳しい生活を強いられている。行政はボランティアの方々に入ってきてもらって街の復興を進めていきたいところだが、水の復旧が遅れていることから思うように進められていないという。そんな中、竹下さんの家には井戸があり、飲料水以外の水をその井戸に助けられていて、ボランティアも受け入れられるというのだ。非常事態に井戸は強し。実際に、竹下さんはボランティアの募集は行っていないが、行政の受け入れ窓口機能がうまくいっていないからか、彼女の元へ次から次へと問い合わせが来て、しばらく先までひっきりなしに人が来る予定なんだそうだ。今彼女は、急ピッチでさらに大きくボランティア受け入れのための環境づくりを整えているところだそうで、私たちが到着した時も、家の前の竹やぶを開墾する小さなショベルカーがずっと動いていた。京都からはるばる来た私たちも、すこし力添えができないかと思い、竹やぶを切る作業を数時間手伝った。土地が開けた暁には、ボランティアさんがゆっくりできる小屋をつくり、またある場所には畑を作り、作物を植え、コミュニティ規模で自給自足を進めていきたいというのが竹下さんの構想だ。目の前の状況は厳しいの一言だが、彼女の頭の中には壮大なプランがあり、直接的にも間接的にも多くの人を救うのだろう。最初は数カ月で復旧が進んでいくという発表があったが、今はそれがどんどんと伸び、3か月以上経った今も水が使えない現状に、これ以上依存していてはだめになってしまう、いち早く自立できる行動を!と早い段階で舵をきることに潔さのようなものを感じた。

 

もうひとつ素晴らしい取り組みとして、近くの空き家に救援物資を保管し、行政の物資支給に与れなかった人たちへの配布を行っているという特殊支援部隊「山ん」がさだまるビレッジの目と鼻の先にあり、竹下さんとも連携を取りながら活動している。公的な物資の支給はあるけれど、様々な理由で指定の時間に直接行けなかったりすると、その日の水すら確保できなかったケースなどもあるそうで、たくさんのの高齢者が住む地域では、必要だけど役場の手が回っていない状態だ。そこで、この団体はあらゆる理由で物資を手に出来ない方のために、独立した物資ステーションをつくろうということで場を開き、アクションを起こされている。そこでは、定期的に炊き出しも行っていて、私たちの滞在中にもごはんを食べに訪れているかたをお見掛けした。みんなに優しい場所づくりを積極的に行っているのだ。そんなさだまるビレッジと山んの皆さんにも望みビールをお渡しし、支援をしに来る方や炊き出しに訪れられる地域の方にふるまってくださるとのこと。

 

 

 

 

その後、さだまるビレッジから同じ珠洲市にある「こだま」というイタリアンレストランに向かった。ここは、京都醸造の従業員である井上さんがかつて教職をしていた頃の生徒だった兼盛さんという方のご実家がこのレストランを経営されているそうで、その方自身も故郷に戻りフードトラックで飲食事業をされているとのこと。市内で営業再開されている数少ない飲食店のひとつで、私たちがお店に立ち寄った時も頻繁に来客があった。我慢を強いられる生活の中で、美味しいお料理を食べさせてくれる場所というのは、多くの人にとってほっと息をつける特別な場所に違いない。そんな「こだま」で多くの人を喜ばせていた存在のピザ釜がこの度の地震によって失われてしまったらしく、今は臨時に設置した釜で焼いたピザを提供しているとのこと。それでもおいしいピザを焼けるのだろうけど、お店の正面にどんと構えたピザ釜から出てくるピザはそれを見ただけでも食欲をそそるものだろう。店内で釜修復のための募金も募られていたので、いち早い修復が叶うことを願っている。兼盛さんにも望みビールをお渡しし、お店を訪れられた方や、被災された方にも届けてくださるとのこと。

 

こだまを後にし、珠洲の中でも津波の被害があった海岸付近の街を訪ねた。ここは、地震と津波の両方の被害があり、見るも無残な状態だった。街を歩いていると変わり果てた我が家を前に立ち尽くす人を何人も見かけた。かつてそこには賑わいや人の生活があったのに、自然というのは残酷にもすべてを破壊してしまった。そして数カ月が経とうとしているのに、何も手を付けられないでいることで、いつまでも辛い現実見せつけられ続けることの厳しさをひしひしと感じた。変わらない状況に溜まりかねて希望が捨てられることなく、春の到来とともに事態が良い方に向かうことを祈りつつ、引き続き私たちができることを考えようと胸に刻んだ。

 

様々な想いに後ろ髪をひかれながらも能登半島を背にし、私たちは金沢へ向かった。金沢では、石川県の防災アドバイザーとしてボランティア団体の活動をサポートされている木下千鶴さんに会いにいった。災害支援の団体を調べていた際に、木下さんが事務局長をされているボランティア協会に目が留まり、問い合わせをしたところ、被災地へのビールの無償提供の受け入れを快諾くださった。能登に向かう高速道路にアクセスのよい場所にあるスペースを全国からの物資支援拠点として使われており、日々方々へ支援に向かう車が立ち寄り、必要な物資を積みこんで出発するというステーションになっている場所だった。ここで、望みビールも被災地及びボランティア参加者への配布をしてくださるとのこと。また、水の回復が遅れている地域へも移動式のシャワーの持ち込みもされているという話をきき、長らく身体を清潔に出来ていないことを辛抱されている人たちにとっては希望でしかないと感じた。また炊き出しにも積極的に取り組まれているなかで、一方的に同じような味付けの料理を提供するのではなく、食べたいものを選べるような炊き出しになるよう、心掛けられているという話で、気持ちによりそった細やかなケアは何よりも被災者の方たちを癒していることだろうと思った。木下さんの明るく快活な性格に、私たちは以前から知り合い同志だったかのように親近感を覚え、また会いに来ようという気持ちをもって、後にした。

 

日が暮れた後に、京都に向かって車を飛ばしながら、自らの目で確認できたことは被災地の一部と一瞬だけではあるが、見たこと、聞いたことを振り返っていた。まだ復興前夜で何も終わっていないこと、そして方々で使命感とともに熱心に支援に取り組む人たちがいることを知れたことで、私たちも継続的にサポートを続けていかないといけないという思いにつながった。

4月をもって多くの地域の避難所が閉鎖され、利用者は仮設住宅に移動するとのことだが、高齢者の割合が高く、特殊な物資や人材の不足、また多くの場所で引き続きのしかかる水供給の不足など、さまざまな支援が必要なことはこれからも変わらないでしょう。

 

私たち京都醸造の意識やサポートはひきつづき能登半島へ向けていく。現に、望みビールの一部は今、福井にあり、これからコーチャスさんや強力助っ人の奈々実さんという方の力も借りて、被災地へ向けて届けていく予定だ。みなさんもどんな方法であってもこの地域で困っている人たちを支援してもらえたらいいなと思う。まず、最近ニュース等で見ないからといって過去のこととして忘れ去るのではなく、今起きていることとして意識すること。そして、現地で多くの人々が口にしていたように、「小さなことでも助けになる」という古い格言どおり、まず小さなことからでもアクションを起こしてもらえたら現地にとっては望みそのものだ。

 

輪島市郊外

 

輪島市郊外

 

輪島市役所前、傾く信号

 

輪島朝市

 

輪島朝市

 

輪島朝市

 

輪島市で支援活動されているピースボートの皆さんと

 

珠洲市

 

珠洲市、地震だけでなく津波の被害のあった地域

 

珠洲さだまるビレッジの皆さん、関東からボランティアに来られていた一団と

 

石川県ボランティア協会の木下さんと