ここ1年ほどの間に、私たちが世に放ったビールの中で、その特徴を説明する際に「チオール(thiol)」という言葉を使う機会が、少しずつ増えてきたことにお気づきでしょうか。もちろん、これは京都醸造のビールに限った話ではなく、クラフトビール業界全体における大きな関心事のひとつとなっているキーワードなのです。

京都醸造では、「探究心」という価値観とともに、ビールに新たな風味を与える方法を常に探してきました。
副原料であったり、最新のホップ製品であったり、はたまた容器内二次発酵や、濃厚でアルコール度数の高いビールを生み出すポリガイルという製法であったりと、さまざまな角度からその探究を深めてきました。では、そもそもビールの「味わい」や「香り」は、いったいどこから生まれるのでしょうか?
伝統的には、ビールの風味は醸造工程で使用する麦芽とホップ、そして酵母に由来します。KBCでは、ビールの種類やその時々のアイデアに応じて、コーヒー、チョコレート、果汁やピューレなど、さまざまな副原料を醸造工程に取り入れることもあります。さらに、原料をどのタイミングでビールに加えるかによっても、最終的な風味は大きく変わります。
では、ここで先に挙げた「チオール」は、ビールの風味にどのように関わってくるのでしょうか?
■ チオールとは?
チオールとは、端的に言うと、炭素原子に結合した硫黄を含む分子です。硫黄を含んでいるため、非常に強い香りを持ち、揮発しやすい化合物でもあります。そのため、ごくごく微量しか存在しなくても、大きな影響を与えることができる物質です。

■ どんな香りや風味をもたらすの?
一般的に、チオールというと、あまり好ましくない臭いと結びつけて語られることが多いでしょう。たとえば、焼けたゴムのような臭いや、腐った卵のような臭いなどです。
私たちが日常で出会う、特に強烈な臭いの多くは、その強い香気特性ゆえに、チオール化合物と関係していることがあります。一方で、同じように非常に強い香りを持ちながら、より好ましいトロピカルフルーツのような香りをもたらすチオール化合物の存在にも、注目するようになってきました。
近年の研究によって、パッションフルーツ、グアバ、ルバーブ、カシス、グレープフルーツなど、非常に強い香りを持つものの特徴の一部が、特定の分子と結びついていることが少しずつ明らかになってきました。そして、これらの化合物で特に興味深いのは、その影響力の強さです。
チオールは極めて少量でもその存在を感じ取ることができ、香味を感じるための閾値は、1兆分の1(parts per trillion)レベルにまで達するものがあります。
これを例えるとすれば、オリンピック規格の50mプールに液体を数滴垂らした程度の濃度に相当します。つまり、ほんの少しだけで、絶大な影響を与えるほどの個性を持つものなのです。

■ チオールはどこに存在し、どのように取り出されるの?
これらの化合物は、実は自然に存在するさまざまなものに含まれています。その中でも、特にホップ、そして麦芽からも、測定可能な量のチオールを抽出できることが分かっています。チオールには大きく分けて、「遊離チオール(free thiol)」と「結合型チオール(bound thiol)」の2種類があります。
遊離チオールは、天然物の中ですでにそのままの状態で存在しており、最初から香りを持っています。例えば、CitraやNelson Sauvinのような香りの強いホップには、遊離チオールが多く含まれているため、力強いトロピカルフルーツの風味と結びつけて語られることが多いのは、そのためです。特別な工程を加える必要はありません。ビールに投入すれば、これらのチオールは自然とビール中へ移行していきます。
一方で、結合型チオールは少し厄介です。ビールの世界に限って説明すると、この結合型の化合物は麦芽とホップの両方に存在することが分かっています。しかし、多くの場合、それらはアミノ酸などのより大きな分子と結合した状態になっており、この状態では揮発して香りを放つことができません。
そこで醸造家たちは、試行錯誤の末、醸造工程の特定の段階で起こる「酵素の働き」によって、こうした大きな分子を分解し、そこから望ましいチオール成分を解放できることを発見しました。
たとえば、麦芽をお湯と混ぜて糖化させるマッシング(糖化工程)の際に起こる酵素反応によって、ホップに含まれるこうした化合物の一部を取り出せることが分かっています。
さらに、酵母の中には、発酵中にホップ由来の結合型チオールに結合している分子を切り離すことができる特殊なものもあります。そのため、醸造家の間では、発酵の途中でホップを投入することで、通常の発酵終了後のドライホッピングよりも、よりトロピカルなチオール由来の香りを引き出すという手法も使われるようになってきました。
まだ比較的新しい研究分野ではありますが、現在では、
・どの酵母株がこうした反応を最も効果的に行うのか
・どのホップに遊離チオールや結合型チオールが多く含まれているのか
・それぞれのホップが、どのチオールと結びついているのか
といったことが、少しずつ解明され、認識され始めています。

ただし、チオールにはひとつ大きな課題があります。
それは、非常に揮発しやすい化合物だということです。
つまり、ビールの中からチオールを取り出すことが難しいのと同じように、ビールが完成したあとも、それをビールの中に留めておくことは簡単ではありません。
発酵過程や炭酸ガスの充填、ビールのろ過、あるいはパッケージング工程のようにビールを動かしたり攪拌したりする作業によって、チオールの影響はすぐに弱まり、最終的にお客様がビールを開封して口にしたときに感じられる香りや風味も少なくなってしまいます。
しかも、これだけでも十分難しいのですが、チオールにはもうひとつ厄介な特徴があります。
非常に強い香りを持つため、量が多すぎると、ビールのほかの要素を覆い隠してしまうことがあるのです。
■ では、チオールを上手く活用したビールとは?
チオールは、醸造家が自分の目指すビールを造るために使える、新たな道具のひとつと考えることができます。特にホップを主体としたビールでは、従来の醸造方法だけでは到達できなかったレベルまで、その香りや風味のインパクトを高めることが可能になります。
また、チオールによってもたらされる香りの中には、ビールにおいてはまったく新しいものや、これまでお客様が感じ取れるほどの濃度まで引き出すことが難しかったものもあります。
これは、ビールの香りにまったく新しい世界を切り開き、醸造家がビールから引き出せる香りの幅をさらに広げることにつながります。
もちろん、チオールに関しては、たくさん使えば良いというわけではありません。しかし、チオールを上手に使い、ビールの中でその働きをコントロールできる醸造家であれば、これまで以上に幅広い香りをビールから引き出し、お客様に届けることができるようになるでしょう。
チオールの可能性を感じていただけたでしょうか。
少し前に発売した「ひょっと その2」やNZホップシリーズの「いろとりどり」では、チオールを多く含んだホップを特殊な製法で解放させることで、これまでにないビールの表現に挑戦しています。
次回、京都醸造だけでなくても、チオールに焦点を当てたビールを見かけたら、ぜひ試してみてください。これまでの説明も、より現実味を帯びて、実際に飲んでみることでより深く分かっていただけると思います。
