新ヘッドブルワー、ジェームズが語る日本のクラフトビール

今年2024年の春、アメリカから京都醸造へやって来た新しいヘッドブルワー、ジェームズ・フォックスについては、これまでの投稿などで度々紹介してきました。

初めての日本で、それも京都醸造でビール造りを任せられるという大きな冒険をする決意をした彼のその真意に迫らんと今回インタビューを行うことにしました。今回ベンがインタビュワーとして、ジェームズがどのようにしてビール醸造家になったのか、業界の現状についてどう考えているのか、そしてなぜ日本でこの役職に挑戦したいと思ったのかをを中心に話を聞きました。 

  

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ーーまずは、ビールにかかわる前のキャリアについてお話を伺いたいと思います。あなたは、かつてアメリカ軍の航空管制官をしていたと伺いました。なぜ最初にその仕事を選んだのですか? 

ジェームズ「子供の頃は、ジェット機に夢中で、いつかパイロットになりたいと思っていました。それで、パイロットになるための最も簡単な道は、航空管制官から始めることだと思ったんです。しかし、その後、残念なことに私はパイロットになるには背が高すぎることに気付きました!(ジェームズの身長は約190㎝) 」

  

ーー 制限があったんですね? 

ジェームズ「そうです。戦闘機のパイロットになりたかったのですが、体がコックピットに収まることが必要なだけでなく、高速で脊椎にかかる重力(G)の影響から身長の制限があるんです。」 

 

ーーそうだったんですね。ところで、ビールとの出会いは、その航空管制官をしていた時にあったのですか? 

ジェームズ「いえ、その当時は大手のビールしか飲んだことがなかったので、ビールがそんなに好きではなかったんです。転機となったのは、サンディエゴで航空管制をしていた時、仲間たちとボーリングに行って、そこでStone IPAをピッチャーで飲んだ時でした。「これなら好きかも!」と思って、それからは様々な醸造所のビールを試し、調べてると自分でもビールを造ることができるのに気付きました。それでホームブリュー(自宅でのビール醸造)を始め、数年間続けていました。その間、軍の支援を受けて機械工学の学位を取得しましたが、趣味としてホームブリューは続けていました。

  

ーービール造りを始めた時、何が一番ワクワクしましたか?やっぱり自分で造るという点ですか? 

ジェームズ「まあ、そうですね。材料を混ぜて、新しいことに挑戦することが面白かったです。私はビールキットを使った醸造方法には手を出さず、最初からすべて一から始めました。計算もすべて手作業で行い、本やインターネットを頼りに独学で学びました。そして、どんな味に仕上がるのかを確認したくて、さまざまな新しい材料を試し、成功することもあれば、そうでないこともありましたが、常に学びながらビール造りをしていたように記憶しています。」 

  

ーー日本では残念ながらホームブリュー(自家醸造)は法律で認められていませんが、アメリカでは多くの人がそれをきっかけにビール造りを始めるという印象があります。 

ジェームズ「そうですね、これまではそうでした。今では醸造科学の学位を取得して学問的な側面から始める人も多いですが、ホームブリューから始める人もまだ多いです。」 

 

ーーその点、日本ではどこかの醸造所で経験を積まないと、合法的にビール作りを学ぶことができないのが課題のひとつです。さて、あなたは学位を取得した後、Stone Brewingでパートタイムで働いていたんですよね? 

ジェームズ「実際には、学位を取得しながらStoneでフルタイムで働いていました。それと同時にHillcrestでもパートタイムで仕事をしていました。」 

  

ーーそれはすごいですね。その時点でビール醸造の道を進む決心をしていたのですか? 

ジェームズ「いえ、その時点では、ただその仕事が好きで夢中になっていたという感じですね。必ずしもキャリアにするつもりはなかったんですが、やっていることが楽しかったんです。そのうち、これまでの軍での経験や機械工学の学位を活かしてそのまま進むべきか、それともクラフトビールで一からやり直すべきかを考え始めました。最終的には、自分の好きなことを職業にしようと決心しました。お金のためだけに働きたくなかったんです。クラフトビールの世界は自分の機械工学の知識を活かしつつ、芸術的な側面もあり、常に新しい挑戦があるんです。それが何より私を引きつけました。」 

  

ーーでは機械工学の学位を取得してから、どのくらいでBallast Pointに入ったのですか? 

ジェームズ「学校を卒業してすぐにBallast Pointに入りました。実は、後にBallast Pointで上司になった方が、私がかつてStoneに入る前に応募していたポジションで採用されていた方だったんです。余談ですが。」 

 

ーーアメリカの業界の中でも、そういった縁があるわけですね。スタッフブルワーとして入社し、その後すぐに同社の二番目の施設でブルワーの責任者に昇進しました。その経緯を教えてもらえますか? 

ジェームズ 「そうですね。Stoneでは、パッケージングの仕事をしながら、トレーナーとしても活動し、並行して、Hillcrestで醸造もしていました。その後、Ballast Pointではスタッフブルワーとして入社しましたが、規模が大きく、これまであまり経験がなかった自動化された施設でした。それでも自由に実験させてもらい、いくつかの工程の改善につながり、効率を約12%向上させることができました。それが評価されて、施設のセラー(発酵)管理を任されるようになり、管理業務を初めて経験しました。」 

  

ーーそれらはサンディエゴで始まって、次に東海岸での施設の立ち上げのチャンスへと繋がっていくんですね。規模は最初の場所と同じようなものだったと理解していますが、どのくらいの規模の運営を行っていたのですか? 

ジェームズ「建物自体は実際にはサンディエゴの約3倍の大きさで、醸造所は約100バレル(1バレルは約12,000リットル)、最大生産量のときには約20~25人の規模のチームを編成していました。ただ、自動化が進んでいて、とても効率的でした。この規模になると、フロリダのファンキーブッダのビール醸造を引き受け、スケールアップさせるようになりました。後のケープメイでは生産量ははるかに少なかったですが、より多くの人が必要でした。」 

 

ーーあなたはアメリカで最も大きなクラフトビール醸造所の1つで、2つの最大施設の1つを運営していましたが、なぜ小規模に転向しようと思ったのですか?希望すれば、もっと大きなチームを率いた醸造ができたはずでは? 

ジェームズ「そうですね、それは難しい決断でした。やはり最後は、自分が好きなことに集中したかったんです。ポジションが大きくなるほど、自分が最初にクラフトビールに恋した理由である、実際の醸造作業に関わる機会が少なくなります。この頃には、コンステレーションという会社がBallast Pointを買収するなど、クラフトビールの文化やとりまく環境が変わりつつありました。そして、その変化が長期的にみると、自分がクラフトビールでやりたいこととは異なる方向に向かっていると感じました。そのため、より小さくて成長中の、もっとダイナミックな会社を選ぶことにしました。安定したものより、もっとクレイジーなものを求めていたというべきでしょう。人一倍クレイジーなものが好きなのかもしれません!」 

  

ーー具体的にはその社風や文化のどのあたりが気に入ったんですか? 

ジェームズ「小さくてダイナミックなチームの環境では、皆がそこにいたいと希望し、そして最高のビールを作りたいと思っています。大きくなると、どうしてもビール以外の優先順位が出てきます。それは避けられません。でも、中小規模なら、ビジネスのセンスを持ちながらも、クオリティに焦点を当て続けることができるんです。それが本当に大事で、基本的なことだと思います。

  

ーーあなたは、今の業界の傾向についてどう見ていますか?クラフトビールに多くの人々が惹かれたのは、成長していて刺激的で、自由度が高かったからでしょう。しかし、企業が成熟していくにつれて、どんどんビジネスライクになっていきます。どうすればそのバランスを取れると思いますか? 

ジェームズ「それは非常に会社ごとに異なるので一概には言えない部分がありますね。たとえ会社が大きくなっても、人やその取り組みに焦点を当て続けることはできます。製品だけに終始するところもありますが、多くの場合、製品に焦点を当てれば、ビジネスのほとんどの部分は自然と整っていくものだと考えています。

 

ーーさて、ちょっと話は変わりますが、日本で働くということを考えた理由は何ですか?以前は異なるキャリアプランを考えていたと話してくれたことがありましたが、なぜ私たちの求人に興味を持ってくれたのでしょうか? 

ジェームズ「そうですね。私は海外での仕事を探していたわけではありませんでした。私がまず求めていたのは、再び自分の仕事を楽しめる場所を見つけることでした。それがクラフトビールであれ、新しい経験であれ、自身のスキルを活かせる場所を探していました。そんな中、京都醸造のこの求人を見たときに、それが自分にぴったり合っていると正直に感じました。」 

 

ーーでは、KBCに対しての印象はどうでしたか?当初、日本のビール文化についてはあまり知識がなかったのでは? 

ジェームズ「私が働く環境として最も重視していたのは、そこで働く人々の姿勢と彼らが造る製品でした。それはすぐにわかります。私の経験では、職場のケア、つまり会社がどこに投資しているか、チームが製品についてどのように話しているかを見ることで、否が応でもそれがわかります。KBCのチームは自身の製品にプライドや情熱を持っていることがすぐに伝わり、会社はそうした人材と設備にしっかり投資していることが分かりました。つまり、良い兆候がたくさん見えましたね。」

  

ーー会社の文化については、実際に数ヶ月ここで働いてみてどう感じていますか? 

ジェームズ「一言で言うと、楽しいですね。みんな一生懸命働いていますし、もちろん困難や課題もありますが、とにかく真剣に取り組んでいます。そして、とても仲間意識が強くて、彼らと一緒に働くのが本当に楽しいです。会社は大きく変わる節目にありますが、今のところ最も注力しているのは、原材料の品質とビールのレベルアップです。それは私たち自身のためだけでなく、日本のクラフトビール業界全体のためでもあります。」

  

ーーよい方へ変化するように導くという話を今しましたが、どのような方法でそれを実現できると思いますか? 

ジェームズ「今はまだ、教育の段階にあると思います。それはもちろん受け取る側へも、この業界のことをよく知ってもらうことが必要だと思います。そして、人々がまだこの業界に馴染みが薄いという点で、我々にはチャンスがあります。たとえば、アメリカで起こった同じ過ちを繰り返すことなく、業界を定義していくことができます。」

  

ーーその「過ち」とは何ですか? 

ジェームズ「アメリカでは、すでにトレンドを引っ張って革新するのではなく、業界がトレンドを追う方向にシフトしていると感じます。知識を共有し、私たちが挑戦し、皆を巻き込むのが強みでしたが、今では何が売れるかを見て、それに焦点を当てて作ることが多くなっているように思います。品質の高い製品を作りながらも、製造方法や製品開発という面で挑戦することのバランスを見つけることが大切です。」 

  

ーー日本が同じ落とし穴を避けるにはどうすればいいと思いますか?競争が激しくなると、トレンドを無視するのは難しくなりますよね。私たちも今、人気のスタイルを作っていますね。それはあなたの知識や強みを活かしている部分でもあります。 

ジェームズ「醸造所で働く人々が楽しんで仕事をしている限り、それは製品に反映されると思います。ラガーしか作らない醸造所やヘイジーIPAだけを作っているところもありますが、これもまた素晴らしい製品を出しているところが多い。もちろん多種多様なビールを造っている場所もあります。それらが優れているかどうかの鍵は、彼らがどれだけそのビール造りを楽しんでいるか、そしてどれだけ情熱を持ち、集中しているかです。消費者はそのことを敏感に感じ取ります。」 

 

ーーアメリカはクラフトビールの先駆者でしたが、今はさまざまな課題に直面しています。あなたから見て、日本のクラフトビール業界の課題は何だと思いますか? 

ジェームズ「日本には根強いビール文化があるので、これは大きなチャンスだと思います。ここまでビールを飲む習慣・文化がある国も多くないので、そうした人々にまずはビールの多様性はじめ、いろいろなビール造りをしている醸造所があることを知ってもらうことが大事。それから、日本のビール流通の仕組みを克服することが課題ですね。クラフトビールが広まり、多くの人に飲まれるようになるためには、流通ネットワークとの関係構築が不可欠です。そして、私が最初の最初にStone IPAを飲んで、その後の人生が変わったように、日本の消費者にもクラフトビールに出会う機会を増やすことが大切だと考えています。」

 

ーーいろいろお話を聞かせてもらい、ありがとうございました。

ジェームズ「こちらこそ!」

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ジェームズが日本に来て、まだ数ヶ月足らずですが、すでに新しい設備の運用開始や製造プロセスの改善などにおいて、多くのことに着手しています。そんな中で、KBCがこれまで造ってきた既存のビールレシピの改良や、新しいスタイルのビールの開発にも積極的に取り組んでいます。 

  

そうした変化の兆しを存分に感じてもらえる新しい「KBC 2.0」と呼ばれる取り組み。こうした京都醸造の新たな一面を一人でも多くの人に楽しんでいただければ幸いです。KBC2.0のマークがついたビールの多くが、新しいスタイルや実験的なビールであり、上のインタビューでもジェームズが答えていたように醸造家自身が楽しんで作ったことを感じてもらえると思います。また、今後の年間を通じたビールスケジュールやKBCの従来のシリーズへの変更についても続報をお楽しみに。では、乾杯!