醸造における適応と成長

京都醸造の創業以来、たくさんのことが変わりました。 その変化のいくつかは、実際に醸造所を運営するという現実と、計画段階で思い描いていたこととがいかに違うのかに対応してきたことにあります。時間が経つにつれて変わる個人の好みに関係していることもあります。途中で犯した過ちから学び、それを正すためにとった行動に関係することもあります。

ヘッドブルワーとして私が最も責任を負っている領域は醸造計画に関するものです。3人の創業者全員ビールが大好きで、会社の創業前にたくさんの時間をかけてどんなビールが造りたいのかを詳しく話し合っていました。ハウスイーストとしてベルジャン酵母を使い定番のセゾン、IPA、スタウトを造る、というようにアイデアの多くは今でも今日のラインナップで目にすることができますが、うまくいかず実らなかったり変更せざるを得なかったりしたものもたくさんあります。

いくつかの例をあげましょう:

  • 創業当初から予定していた春夏秋冬シリーズは、タンクのスペースや酵母の再利用の都合がつかず、2年以上も遅れました。
  • 地元で採れた果物や、規格外のために廃棄される果物だけを使うビールシリーズは、実現にかかる時間と労力を考えて棚上げしました。
  • フルーツサワーやケトルサワーは当初の計画にはありませんでしたが、今や私たちのラインナップでも目を引く存在になっています。

感傷的にこれまでの変化を振り返るのは楽しいものの、実は最も心苦しい変更の一つは、造るといったのに造らなかったものではなく、絶対に造らないと誓ったのに造ったもの…ラガーです。京都醸造を始めた時、私たちは絶対にラガービールは作らないと断固として決めていました。これは一部、アメリカのクラフトビール業界の反抗的な始まり方の影響を受けていました。ラガーは “うすくて黄色い泡立つもの”とひとくくりにされて受け入れられず、ホップをたくさん使う高いアルコール度数のIPAが支持されていました。他の動機は、大手の醸造所や日本のクラフトビールにはうらやむべきおいしいラガーが豊富にあったからです。つまり、このスタイルに何か新しいものやユニークなものをもたらすチャンスが少ないということです。

私たちは創業以来この路線を強固に守ってきましたが、ラガーを造っていないにも関わらず、ラガーについてはある支配的な一貫したものがありました。長い一日の終わりに、私たちはただビールを欲していました。それは高級なビールでもなく、驚きのあるビールでもなく、ただ純粋でシンプルでおいしいビールです。10回中9回は、最初に退けたうすい黄色のラガーを嬉々として注文していました。おいしいラガーをより見つけるようになるにつれ、自分たちのスタンスを再考し始めました。造るのが難しいスタイルで、ゆえにブルワーとしての能力を試されることに加え、ラガーを造るということは、自分たちが望む味わいを造ることができる能力があることを意味しました。他の創業者にこのアイデアを提案するのは勇気が要りましたが、造ることが決まり最高にうれしかったです。

このような進展を受けて、醸造計画について最初に決めたことをより慎重に検討するようになり、それが今も私たちにとって正しいのかどうか評価するようになりました。同じような変化は今後も起こりそうですが、今は私たちの初のラガーをみなさんと分かち合うことを楽しみにしています。

この転機となった醸造の詳細は後ほど!